うだがわんの思考

人には言えない事を書きます

俺の大学時代における美意識の変遷

久しくブログをガン無視していましたが、執筆欲が復活したのでまたしばらくお世話になります。

 

大学四年生の後半期に入り、およそ数週間で今年も終わりを迎える今日この頃、大学四年間を振り返る機会がたくさんあったわけで、そういえば昔はファッションに疎かった自分が今ではある程度のブランドを把握した経緯はどんなものだっただろうかと考えたのです。そこでざっくり四年間どのようにファッションにこだわったのかを書きつつ最後にまとめとして大学生に向けたメッセージを手向けていこうかと思います。ちなみに今ブームの筋トレのおかげで前腕がかなり筋肉痛を患っており、すでに腕がしんどい

 

大学一年生

よーし今日から大学生だ!たくさん勉強、バイトして実のある大学生活を送るぞ~

という意気込みでほぼ一年を過ごしたため交友関係はほとんどできず、毎日バイト用のスーツを着用していたとさ。

バイトでスーツ指定であることのメリットとしては朝から服装を考える手間が省けるというなんとも高校生が考えそうなことが挙げられるが、これは都内のイケイケ大学においては全く通用しない、いや、通用してはならない考えである。サークルや部活動においてスーツで参加する学生が想像できるだろうか、おそらくデニムに洒落た重ね着といかついワックスのにおいをまとわりつかせた陽キャがわいわい騒いでるほうが多数派だろう。つまりスーツ指定のバイトを選んだ時点でエンジョイ大学生活の半分を失ったといっても過言ではない。しかしこの失態に気づかなかったのも受験生活によって柔軟な思考の一切を放棄した青二才のような自分の愚かさの青春の一ページともいえる。皆さんはスーツが決して便利だとは思わないでほしい。

 

大学二年生

去年の失態を学んだだろうか、彼は休息を学んだのである。バイトばかりしていてはなにも楽しくない、いやバイト先で生徒との絡み合いは楽しかったがしかし本来の職業をはき違えているのである。私は大学二年生の学生であり、決して偶々偶然持った生徒に全責任を持って合格に導くような大層な塾講師ではない。そこでこの年に新たに写真研究部に入部し、また同時にバイトの出勤日を減らした。一年の土日だけ働いていた飲食もやめ、自分の時間を作ることに専念した。結果私服のコーディネートのなさを自覚したのである。大学一年生の頃に一切放念していたファッションという概念が、突然として眼前に現れたのである。しかし今まで考えてこなかったことを突然考えるのは当然難しいのである。それは例えば建築学を専攻しているものが医学や教育について思考するのと同じくらいの難易度である。その果てに選ばれたのは安定のユニクロである。私にとっては救世主であった、全く知らない世界を彼らは手取り足取り安価な値段で導いてくれるのだから。頭からつま先までユニクロに染められた自分はなんて素敵な人間になったんだろうかと夢見心地とまではいかないが、少なくとも陰キャ大学生の初期装備は得れたのではないだろうかと考えていた。もちろん現実は残酷で虚しいもので、着用したほぼすべてのアイテムは「ダサい」と一蹴されたのである。ユニクロは救世主ヤハウェではないのか、導かれるままに十戒を授かった気分でいたが、どうやら現代日本学生社会において神は死んだらしい。来年はどう生きるか。

 

大学三年生

なんということだ。聞いていないぞコロナが流行するなんて。世間には悪いがコロナに対する最初の印象はラッキーなのだ。一昨年、去年と悩み続けた人間関係・ファッションその他都心に至る満員電車など不満でしかないのだ。これで問題は解消された、いや延長されたのだ、それは大学四年生になってから気づいたのである。

 

大学四年生

今年度もオンライン授業でよいではないかと思っていたが、どうやら去年度に対面授業を復活させていく方針は立てていたらしい、いくつかの授業を対面で受けなければならなくなった。そして私のファッション事情はどうだろう、全て黒を基調とした晩年喪服人となったのだ。安定感の極みである。多少夏は暑かったものの、少し我慢すれば涼しい教室が私を待っていた、なにもつらくないのである。今考えればこれは思考の放棄といっても過言ではない。黒が当たり障りのない安定感のあるファッションだと無意識に依存してしまったのである。今更変わろうとしても難しいのだ、なぜなら数少ない同期も「黒い」という強い印象をもっていたため他の色が想像しがたいと思われてしまったのだ。シャネルやグッチの創業者のように衣服の社会通念をひっくり返すほど自分のファッション意識は高くないので、もはや新しい服を買おうとは今更思わない。もう大学の四年間は黒く過ごしていこうそうしようと今現在に至っている。

 

コロナという異常な年を挟んではいるものの、大学一年生の大失態は少なくとも反面教師として受け取ってくれれば幸いである。今も昔も変わらず自分の人生は反面教師として人に教えられる教訓は多いのだと思った。