うだがわんの思考

人には言えない事を書きます

おひさしぶり終電

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非日常


武蔵小金井から徒歩1時間の間ずっと原稿を考えていたらいつのまにか家についていた。まさか帰りが土砂降りの雨だとは思わなかった…

 

今日はバイトでの数カ月ぶり?の飲み会があってお酒を飲んでいました。江ノ島は結局晴れていたっぽいけど、また次の機会に行くとしましょう。とても楽しそうで何よりのことです。お酒の場だからこそ言えること、考えることがあって今回は二つほど心えぐるエピソードを紹介したいと思う。

ひとつは飲酒に関わらず多分事前知識がなければそういう先入観を持つであろうできごとで、厨二と言われたことだ。とくに宗教的な本はそう思われる事が多いだろう。なんせみんな大好きゼウス、ヘラから始まって福音、二元律、達磨、マヌ法典など聞く限り専門的ですこし理知的なかっこいい単語が出てくる。ちょうど今日読んでいたのはダンテの「神曲 煉獄編」で馴染みがなければパッと見かっこつけているようにしかみえない。俺も子供の自分を前で同じ本を読んでいたら同じことを言われるだろう。だからしょうがないと思っている。

厨二病はみなさんご存知のとおり成長過程で体と心の成長に差が生じる時期のことである。だれしも空想に浸って思い思いの物語を作っているものだ。自分の場合なぜか悪役に回って周りの人をすべて拷問に晒した後殺し続ける妄想が多かったかな。たまに疲れているといまでも思い出す事がある。なんで正義のヒーローじゃないんだろう。かっこいいと思わないのかな。そんなことは置いておいて、今はけっして思春期の真っ只中ではない。別にかっこつけたくてあの本を読んでいたわけではない。それを厨二でくくられてしまったことに少し恥ずかしさを感じた。思春期にある一連の行動を二十歳超えたゴミが同じことをしていると思えば羞恥心が芽生えて当然だ。さてこの本は本当に読む必要があるのか。一瞬だけ考えてみた。答えは当然読む必要性を訴えた。ちゃんとこの本を読んでいる事が決して思春期の反復ではなく大人として十分な理由を伴った自発的な行動である事が証明できた。ここで諦めていたらそれこそ厨二病を認めることになるし、それ以上に他人に否定されたというプライドが傷ついてしまうところだった。よくやった自分。

 

もうひとつは……自分の悪い癖がでてしまったこと。今日のメンツに関わらず自分の周りにいる人はとてもスペックが高い。みんなそれぞれ人望を持ち、能力を持ち、意志を持っている。自分より遥かに優れた人間であることを関わるたびに実感する。そこでいつも自分と他人を上手く切り離せずに勝手に比べて勝手に凹んでる自分が今日も現れてしまった。

社会人になってもどうして慕われるんだろう。

どうしてこんなに準備が早いんだろう。

なんで話を盛り上げることができるんだろう。

「お前の努力不足だ」で片付けられるなら誰も悩むことはないしそんな人と関わりたくない。もちろん中には努力で補えるものもあるが。根本的な問題は他人と比較してしまうことだと思っているから考え方を直さなければ。比較して向上心を上げるみたいな話は前の書評で話したこともある気がする。いちいち飲みの場でこんなくだらないことを考えたくないだけなんだけどね。

 

全く関係ない話なんですが、オンライン授業最高!っていう人いません?いたるところでこの話をしても課題をほったらかしにしたり、また自分の生活に合わないと悲鳴を上げている人しか見えないのだが、じぶんがおかしいのか…大学に行かない交通面のストレスがなくなり、自由な時間で課題をこなす事ができる。これほど悠々自適な生活は未だかつてなかったのに同情してくれる人が見当たらない!

 

今現在朝の4時。飲み会の後ってなんか起きていたい気分になりませんか。さすがにもう寝ますけど。明日は計3限分しかないため、足りない睡眠を補いつつ、自分の教養が深まれば幸いだ。 

では。