うだがわんの思考

人には言えない事を書きます

本当によく死にますね

駅から降り立った数秒後に出発する荻窪駅行きと退勤した直後に出発する武蔵関行きを俺は絶対に許さない。なんで退勤時間伸ばすんだろう…

 

最近よく有名人死んでませんか?コロナ一部自殺一部。自殺についてよく人は勿体ないだとかおかしいだとか言う人がいるけど俺は一度も思ったことないしなんならフェンスを乗り越える勇気が欲しいくらい。

三ヶ月前くらいに買ったお気に入りの漫画、自分にとってはもはや道徳の教科書になりつつある「ここは今から倫理です。」では自殺する人についてこう書いてある。(著作権大丈夫かな?)

 

「恋に破れても!家族が死んでも いじめられても 就職に失敗しても 仕事がイヤでも お金がなくても 人生が… 退屈でも!!

それがどんな理由でも命に関わる絶望になるんです!!」

「あの網の向こうに行く為に どれほどの覚悟が必要なのか…」

 

自殺を推進する気は全くないが否定する気もさらさらない。命とは平等に与えられ、各々がその価値を見出すものであり、自殺はそれ以上の価値を見出さなかった人のためのある意味救済措置だと思っている。生物全体でみれば自殺をする生物は限りなく希少な存在だ。自分で考えて自分の命を終わらせることができるのは、意思をもった人間ができる特権ですら感じる。こういう考えを持っている人も少なからずいるってことだけ理解してくれれば良いと思っている。みんながみんな自殺を否定できるほど幸せな人生を送っているとは限らない。

もし俺が死ぬとしたら安楽死を望むから海外に行こうかな。東南アジアは確か安楽死が合法化されている話を聞いた事がある。とか言っておいて多分自殺まで追い込まれるようなメンタル持ってないからしないと思うけど。

 

ところで今日家にまたペットが届いた。以前飼っていたインコは3年ほど生きて事故で亡くなった。その約二ヶ月後の今日また同種のインコを母と妹は持ってきた。ずいぶんと執着しているようで今さっき様子を見ても妹はインコから離れる様子はない。ふと思い浮かんだのはアボガド6という作家の「疑似家族」だ。以前飼っていた犬の死に悲しみ、途方に暮れていたところ、偶然里親を預かるよう頼まれ寂しさを埋めているのだ。きっと今日うちに来たインコを以前飼っていたインコと重ね合わせて寂しさを紛らわせているんだろう。

 

同じ命であるにも関わらずなぜ当たり前のようにペットを人間の従属物扱いするんだろう。ちなみにネアンデルタール人の頃から犬を飼っていた形跡は見つかっている。おそらく狩猟関係に用いられたのだろうと推測されている。ただ他の動物は近代以降にペット化されて娯楽として流通した。悪く言えばおもちゃ扱いされているのだ。人間の当たり前も甚だしいね。